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The War 8月のメモワール

アメリカ映画 (1994)

イライジャ・ウッド(Elijah Wood)の少年期最後の主演作。集大成的な演技も見どころだが、大味な演技の多いケビン・コスナー(Kevin Costner)が細やかな感情表現を見せてくれるのも見どころ。クレジットは、冒頭も巻末もイライジャがトップになっている。大スターとの共演の場合、子役が後に回されることが多い中で、ジョン・アヴネット監督の見識であろう。原題“The War”は『戦争』。戦争は、この映画全体のキーワードになっている。主人公の父がベトナム戦争により心的外傷を受けた帰還兵、そして、その父は息子に対し、争いでは何も解決しないと諭す。しかし、父の死の直後に勃発するツリーハウスをめぐる激しい攻防戦。この「身近な戦争」が膠着状態に陥った時、それを解決したのも父の戦争体験からの貴重なアドバイスだった。そういう意味では、全編に反戦思想が貫かれている。かといって堅苦しい訳ではなく、ラストに非常に感動的なシーンが用意されている。

シモンズ家は、父母と双子の姉弟の4人家族。父は、ベトナム戦争で大の戦友を亡くし、その死に対し自責の念にかられるあまり、心の病になってしまった。そのお陰で、定職に就けず、入院を迫られ、その間に、家を失い、家族は貧困に喘いでいた。父の帰宅を機に、巨大な木に砦のようなツリーハウスを造り始める姉のリディアと弟のステュー。一方で、病から回復した父は、高い収入を狙って危険な職業に就き、命を落としてしまう。しかし、父は生前、数々の “言葉” を家族に残し、行動でも示していた。ツリーハウスをめぐって、近くに住む不良一家と激しい “戦争” になった時、ステューを正気に戻し、決死の人命救助に向かわせたのも、その “言葉” だった。この映画では、含蓄のある “言葉” が一杯出てくる。下のあらすじでも、できるだけ多く紹介したいと思う。最後はハッピーエンドだが、このシーンはない方が映画の評価は高かったかもしれない。

イライジャ・ウッドは、いつもの長髪を短く刈り込み、若干オーバー気味ではあるが熱演していると思う。彼の場合メソッド演技はしたことがないから、出来栄えは監督によって左右される。ジョン・アヴネットは、この手の映画を任せたら右に出る者はいないので、演技の質は、子供たちの多くが素人の割には、全体に高い。


あらすじ

冒頭、この映画の一方の主役でもある巨大な木が紹介される。樹齢700年ほどの樫の木だ。写真では、小さく双子の姉弟が映っているが、そのくらい巨大なのだ。そして、姉の独白が始まる。「私はリディア・シモンズ、12才。これは、私のメモワール。といっても、私のことではなく、ほとんどは弟のステューの話です」。邦題は、ここからきている。映画の最後も独白で締めくくられているので、全体が姉の経験したひと夏の体験記という体裁をとっている。姉は、病院から戻ってきた父に弟を引き合わせるため、車で迎えに来たのだ。その時、父が座っていたのは、入院中に取り壊されてしまったわが家の残骸跡。姉は、「バカな戦争さえなかったら、まだ家はあったかも」と言うが、弟は、「シロアリにやられたから、郡が使用禁止にしたんだ」とそっけない。家が取り壊された経緯は、これ以上は不明だ。
  
  

この家に関しては、回想シーンとして、取り壊される場面(1枚目の写真)が紹介され、その直後に、現在家族が住んでいるバラックのような家が写される(2枚目の写真)。アメリカの田舎で、このくらい鉄道に近いのは、いい環境ではない。
  
  

次は、父とステューが町に出て、対話する場面。「このところ、職探しで、ずっと出かけてたろ? それは、必ずしも正しくない。本当は入院してたんだ」。「どうして?」。「医者は、心的外傷後のストレスだと言ってた。前みたいにやろうとしたが、ダメだったんだ。頭痛がひどかったから」。そして、入院以前にどれほど苦労したについて、「復員後に 3回就職した。だが、悪夢がひどくてすべてクビだ。仕事ができなかった訳じゃない。出征した多くの若者に起きたように、元の人間じゃなくなったんだ」と語る。この時のステューは、まだピンときていない。
  
  

ステューと他の2人の友達はいつも一緒。今日は、石切り場の跡地(地表面より深くリ露天掘りしたため、雨水が溜まって池になっている)に行ってみた。すると、リプニッキの悪ガキどもが遊んでいる。リプニッキ家の父親は、土地を違法に占拠して、そこに、かき集めてきた廃品を山積みにしている山師で、その2人の長兄も、2人の妹と弟も不良、末っ子のビリーが変人という鼻つまみ一家。3人は、すぐに見つかり、「不法侵入」と勝手に決め付けられ、3人のうち1人が虐められる。ステューは、長兄に、「なぜ、放してやらない。大きいくせに 子供虐めなんておかしい。一対一で戦えないの?」と果敢に挑戦する。しかし、体は小さいが三男のエブの頭突きと足蹴りでこてんぱんに(2枚目は、足蹴りで宙に舞うステュー)。
  
  

シモンズの姉弟は、同時に、同じ木にツリーハウスを造ることを思い立つ。ステューには友達が2人いるが、姉のリディアにも友達が2人いる。3対3だ。ステューが、「競争しよう。勝った方が取る」と提案。リディアは、友達に「走れるの?」と訊かれるが、「弟に負けるくらいなら 死んだ方がマシ」と負けん気だ。「あの木までだ」とスタートするが同着。リディアは、「じゃあ、これで木は共同よ!」。「そんなのズルい!」とステュー(確かに、同着だった場合どうするかまでは決めていない)。「私たちが先に来て、競争もタイだった!」。「競争したけど、決まってない」。この結果は、帰宅後に父が決めた。「いいか、1日 共同でやってみるんだ。それでも一緒にやれないなら、昼間を2つに分けるしかないな。午前中は男の子のもののだ。女の子は学校があるからな。その代わり、午後は女の子に明け渡すんだ。このことで、二度とケンカは許さん」。
  
  

翌日、6人でツリーハウスを造っている。その間、ずっと黒人の太った女の子が歌っている。たまりかねた男の子が口をはさむ。「歌うのって、絶対必要なのか?」。「歌ってダイエットなの。脱顆粒による肥満だって」。「ジャンクフードの食いすぎだろ。心臓マヒが起きちまう。追っ払おう」。ここで、リディアが「12時半よ。なぜ出でかないのよ? 父さんが言ったでしょ」。1日目は共同で、ダメなら分けるというのが父の命令。それをいきなり出て行けというのは、間違いだ。しかも、ステューの2人の友達にとっては初耳だ。当然、「何言ってんだ? お前の親爺が何だって?」「毎日12時半でさよなら? 知るかよ」と反発する。ステューは、「こんなの上手くいかない。誰かがボスにならなきゃ」と言い出し、さらに「完成するか しないか、どっちがいい」「勝った方が仕切る。負けた方は従う」と提案する。リディアは、「もし私たちが勝ったら、奴隷になるのよ」と切り返す。自信たっぷりのステューは、「中古品のリストを作るから、全部集めるんだ」「できたら、そっちがボス」「できなかったら、この夏中、俺たちの言う通りにしろ」と言う。リストには、コンロ、水遊びプール、リクライニング・チェアなどが並んでいるので、絶対集められないハズだった。しかし、リディアは、リプニッキの廃品置き場から盗んでくるという禁じ手をやってしまう。それが後々「戦争」にまで発展するなどとは考えずに。廃品置き場では、末っ子のビリーに見つかるが、「ビリー、私たちのこと黙ってるなら、毎回10セントあげる」と買収してしまう(3枚目の写真)。
  
  
  

一方、ステューたちは、絶対集められないと安心しきって、石切り場跡の近くでゴリラカートに乗って岩場を下って遊んでいた。下りきった所に水溜りがあり、冷たくて楽しかったが、そのすぐ横に異臭のする別の水溜りがあることに気付く。「何だ、この臭い?」。「クソ溜めか?」。「ゲー、ウルシだ。入ったら、キンタマが取れちまうまで掻きまくるぞ」。リプニッキの連中を見つけた3人は、この前の復讐を思い立つ。「あいつらを懲しめてやらないと」。そして、きれいな水溜りの直前に斜めに板を置き、カートで下りてきたらウルシ溜まりの方に曲がるようにセットする(2枚目の写真)。「うまくいけば 見ものだな」。カートを上まで運び上げると、リプニッキの長兄は、案の定、「ここは、今から俺たちのシマだ。そいつを置いて 失せろ」と命じる。ステュー:「俺なら やめとくな。メチャおっかないぞ」。リプニッキ:「お前らと違って、俺たちゃ怖いものないだ」。ステュー:「ちゃんと警告したからな」。カートは予定通り方向が変わり、リプニッキの4人はウルシ溜まりにどっぶり。「ぶちのめしてやるぞ、シモンズめ!」と怒るが後の祭り。しかし、ツリーハウスに戻った3人は、そこで衝撃的なものを見る。リストに上げておいた中古品が全部揃っていたのだ。「作業開始よ、奴隷たち」とリディア。「俺は、女の奴隷なんかにゃ なんないぞ」と去って行く2人。
  
  
  

同じ頃、シモンズ家では、夫妻が深刻な会話をしていた。数日前、学校の用務員に就職できたばかりなのに、もうクビになったのだ。理由は、精神病院に入院していたから。「子供たちには、何も言うな」。「すぐ感づくわよ」。「話す気になったら、俺が自分で話したい。世間から疎外されてる、と思って欲しくないから。親爺がいつも言ってた。『今さら何をしても、変わるもんじゃない』」。つまり、ステューの父は、祖父の後向きな発言に反発し、「何かをすれば、きっとどこかが変わる」と信じていたかったのだ。だから、「俺のせいで、子供たちに無力感を持って欲しくない。子供たちには 奇跡を信じて欲しい。何でも可能なのだと。そう信じてれば、何かをやってくれる。世の中の何かを変えるかもしれん。つまり、俺が変えたことになる」と妻に熱く語るのだ。この考え方は、後になってステューに大きな影響を与える。一方、ツリーハウスでは、ステュー1人が奴隷になって働いていた。しかし、1人では重い中古品をハウスまで上げられない。見かねたリディアが助けるがそれでも上がらない。そこにデブ嬢登場。「それ揚げたいんなら、あたしに頼んだら?」。「これ揚げろよ」。「何よ その頼み方? 『お願い』くらい言ったら?」。「お願いしまーす」。彼女がハシゴで登ってロープを持って飛び降りると、重い荷物も軽々と引き上げられた(2枚目の写真)。
  
  

父は、ステューを目星を付けた家に連れて行く。「差し押さえ物件だ。銀行が 14ヶ月も売りに出してるが、線路に近いから買い手がつかない。可哀想だろ?」。「買い手がないのは、あばら家だからだよ。ペンキ はげてるし、窓にヒビも」。「口紅とほお紅、それでOK。そうすりゃ、きれいな婆さんだ。よく見るんだな。夏は涼しいし、冬は暖かいぞ」。呆れたステューに向かって、父はさらに「俺に 話しかけてくる」と言う。「そお? 何て言ってるの?」。「買ってよ、さ」。
  

小学校をクビになってから、父はジャガイモ掘りのアルバイト。お陰で夕食は毎日、マッシュポテト、フライドポテト、ベイクドポテトだけ。しかし、これでは家は買えない。そこで、ジャガイモ掘りで会った黒人のモーに頼んで、車の送迎と交換に新しい仕事を手に入れた。夕食の最中にモーと一緒に帰宅した父。「今日の午後、モーと俺は鉱山に雇われた。だが、明日の朝 顔を出さんと交代させられる。モーが、今夜中に 組合証を手配してくれるが、それには50ドルかかる」。母は50ドルという高額に驚くが、危険を顧みず高収入を得ようとする姿勢に賛同し、「コーラのビン800本を出すわ。最低でも 35ドルか40ドルになる」と申し出る。反対するリディアには、2人だけになると、「あなたの父さんは、家族のために ずっと奮闘してきた。苦労したし中傷も受けてきた。だからこそ、助けてあげないと」。そして、「助けたくないなら、いい。信じるようにやればいい。でも 悪口は聞きたくない。父さんは、母さんの一部。父さんを傷つければ、母さんも傷つく。あなたも傷付くの」。夫婦愛がひしひしと伝わる言葉だ。
  
  

競売会のシーン。父は、「1着しかない きちんとしたYシャツにアイロンをかけ、品よくネクタイをして」 ステューと競売会に出かけた。しかし、ボロ車なので何度もエンストする。運悪く後ろに付いたのがリプニッキのピックアップトラック。「何してやがる? 運転できんのか?」「ポンコツは どいてろ!」と、最初は口だけだったが、最後には、何度も車をぶつけてくる始末。頭にきたステューが「車をぶつけるなよ、このクソったれ!」と怒鳴る。リプニッキの親爺は、「生意気なガキだ。なんてえ躾だ」と言い、さらに同乗している悪ガキの「あいつだよ、あたいらをダマして うるしの池に入れたのは」「あいつのせいで、こやしまみれにされた」という告げ口に、「お前が、俺のガキを 汚水溜めに?」と訊く。ステューが「違う!」と言うと、すかさず悪ガキが「この大ウソつき」。親爺がバールを片手に「ウソだったら、許さんぞ」と脅す。しかし、父は、エンストを罵倒されても、車をぶつけられても、冷静に仲裁に入る。「もういいじゃないか。お宅の子供たちは平気みたいだし、うちの車の傷も大したことない」。「偉そうな口 ききやがって。ケンカなら、相手になってやるぜ」。「ケンカには反対だ」。「そうかよ、この腰抜けヤロー」。黙っていられなくなったステューは、思わず、「酔ったスカンクみたいに臭いぞ!」と言ってしまう。親爺は、「首をへし折ってやる、この悪タレめ!」と言ってステューに詰め寄ったところを、軍隊で鍛えた父がクソ親爺の体を楽々と地面に叩き付ける。そして、首をしっかりと押さえると、冷静に、「悪いが、息子に手を出すことは許さん。あんたの子を叱る気もない。俺の車にぶつけたり、俺の悪口を言うのは構わん。だが、息子を攻撃して 俺を怒らせたら、自制できなくなってお前を殺す」と言う。怖い。「それじゃ、息子に謝れ」。「謝るよ」。「ご親切に。息子からも 伝えることが。リプニッキさんに謝れ。侮辱して悪かったと言うんだ」。「ごめんなさい、リプニッキさん」。印象的な場面だ。
  
  

競売会の入札場で、太った生意気そうな係員に、「頑張ってくれたかね?」と訊かれ、「できるだけ」と父。「銀行の方じゃ、安値を嫌って、オファーは5000ドルからとほのめかしてる。5セントなんて書く奴が、いるもんでね」。「5000ドルには ほど遠い。チャンスはあるかな?」と父。「ええと言いたいが、嘘はつけない。トレーラーハウスはどうだね?」(実に失礼で生意気な男だ)。父は、「叶うようキスを」とステューに封筒にキスさせ、2人で箱に入れる。入札したのは、先日2人で見に行った家だ。その後で、父は、「母さんとリディアに 綿アメを持って行こう」とステューを待たせて買いに行く。しかし、勝手に動き出したステューは、リプニッキの悪ガキ2人に見つかり、「食品割引切符じゃ 家は買えないぞ」。「父ちゃんは働いてるぜ。畑で ジャガイモを掘ってるの見たろ?」。「夕飯の おジャガを盗んでたんだろ」とからかわれる。そして、またしてもエブの頭突き。そこに止めに入った父が、怒るステューを宥める。「父さんが悪い。自分でも、自制できないんだから」。リプニッキの娘が、「ねえ、あんた。あんたの父ちゃんが買える家、知ってるよ。今、ツグミのツガイが住んでる」と減らず口をたたいたのに対し、何も言わず綿アメをやる父。「母さんとリディアの綿アメを、なんで奴らに?」と不満たらたらのステューに、「長いこと、何ももらってないみたいだから」。最後のシーンは、少しできすぎで不自然だ。
  
  
  

その後すぐ、2人はツリーハウスまで行く。父は、出来栄えをほめた後で、「あの子たちと、話し合ってみたのか?」と尋ねる。「自己防衛だよ。父さんだって、戦争で戦ったじゃないか」。「そうだ。人助けがしたかったからだ。だが結局、より多くの人を殺した。これまで作った以上の友達を失った。尊厳を失い、家を失い、家族を失いかけた」。「父さんのせいじゃない。戦争だって、正しいことしたんだ」(1枚目の写真)。この言葉を聞いた父は、今まで隠していた戦争での悪夢、一番の戦友を見捨てた話を打ち明ける。その中で、父と戦友との間で何度も交わされる「お前と俺だろ」という言葉は、後で重要な場面で2度使われる。話が終わり、父は、「正気じゃなかった。戦闘で消耗し、頭が変になってた」と弁明した後で、「お前に 戦うなとは言えない。だが、正直、父さんは こう思う。人々に 真の安全と幸福をもたらすのは、愛なんだ。そこから勇気が与えられ、奇跡が生まれる。愛がなければ、戦うに値するものなど何もない」と思いのたけを語る。感動したステューが、「うまくいくよう 頑張るよ」と言うと、「やれるとも。愛してるぞ」。「僕も愛してる」。堅い抱擁。感動的なシーンだ。
  
  
  

しかし、その後、事態は暗転する。父とモーの作業現場で落盤があり、足を挟まれたモーを救おうとした父は、逆に救い出した際の衝撃で派生した2次的な落盤に胸を押し潰されてしまう。病院で、医師は、母に対し「重態患者の生還例はありますが、正直言いまして、ご主人が生きておられるのは奇跡です。広範な胸部の損傷… 片方の肺は潰れ、大量に出血、心臓の損傷も最悪です」と説明する。病室で父に面会するステュー。
  
  

ツリーハウスの方でも異変が起きていた。発端となったのは、ビリーが貯め込んだ10セントコインを全部使ってアイスクリームを食べ、廃品置き場の中で倒れてしまったことだ。悪ガキ連は、原因を知ろうと、ビリーの頭を丸刈りにしてコインの出所を白状させ、ツリーハウスに押しかける。それを見たリディアは、「中古品は、全部リプニッキのとこから」とステューに白状する。「認めるわ。間違ってたって。大失敗だった。何とか、丸く収めましょ。で、どうするの?」。「さあね。争いたくない」。「返すなんて考えないでね。私たちの家よ。家なんて二度と持てないかも。戦うべきだと思わない?」。「そんなこと言って、父さんの教えを忘れたのかい? 僕たちが戦ったと知ったら、父さんが悲しむ」。悪ガキ連にハウスの中をチェックされ、「丸ごと全部 俺たちのものだ」と宣言される。ステューが、「そんなことしなくても、いつでも遊びに来ていいから」と言っても相手にされない。「5秒やるから、ここの占領以上の名案を出してみろ」と言われ、リディアが「賭けるのよ」。「何やるんだ?」。「任せるわ」。結局、石切り場に残る給水塔に登らされるハメに。給水塔のてっぺんにあるタンクの中を泳いで往復するのだ。しかし、塔の水は数分毎に排水され、その度に大きな渦が出来る。それを見たリディアは、「ステュー、やめましょ。別の木を探せばいい」と言うが、ステューの耳には入らない。言い出した長男のアーリスは、次男のレオにさせようとするが、拒絶される。アーリス本人も、怖くて足が引ける。「取り消すチャンスをやる。別の賭けを考えよう」と提案するが、ステューは一人で飛び込んで、何とかターンして戻って来る。アーリスは、「ひっかかりやがった。ホントに泳ぐなんて、大バカだ」と負け惜しみを言うが、ステューの「おい、家は俺たちのだぞ!」の言葉には、「あんな汚いボロ家、誰が欲しがる」と答える。
  
  
  

そして、父の死。姉弟が帰宅すると、母が「父さんが亡くなった」と告げる。そして、「父さんは 今天国に着いて、私たちを見おろしてるわ。私たちが生きている限り、見守ってくれている」。それに対するステューの返事は意地悪だった。「生きてた時より、うまくやって欲しいね」。リディア:「止めて、ステュー」。ステュー:「なんでさ? 父さんを たかり屋だと言ったくせに」。「言ってないわ。父さんは きっと天使よ。戦争で一度死んだけど、神様が遣わして下さったのよ」。「何のために? ずっと一緒にいられると 期待させるため? ブランコのある大きな家が手に入ると 期待させるため? 期待させて、また死んだの? そんなの最低の天使じゃないか!」。母:「父さんは 死ぬつもりなんかなかった。神様が 家に呼びたかったのよ」。「ここが父さんの家だよ! アホな神様なんか、待ってりゃいいんだ。なぜ、神様は 何もかも取り上げるの? 家や 持ち物全部を取り上げて、父さんまで取り上げた。僕、神様に どんな悪いことしたんだろう?」。母:「違う、あなたのせいじゃない」。「呼ぶんなら、いっぱい適任がいる。カルト教団のボスとか、百歳の超高齢者とか。父さんは たった34歳だよ」。イライジャの見せ場だが、少し演技過剰だ。
  
  

その日の夜、ステューが 気をまぎらすためにツリーハウスに行ってみると、約束と違って、リプニッキに占領されていた。翌日、復讐に燃えるステューは、仲間達と奪取作戦に乗り出した。いろいろと武具を用意した上で、スズメバチの大きな巣を袋に入れ、ツリー・ハウスの煙突から巣ごと放り込んだのだ。慌てて逃げ出す悪ガキ連。全員逃げ出したところでツリーハウスを再占領し、小型の発射筒と花火で防衛を固め、一旦は追い払うことに成功。しかし、エブの投げた火炎瓶がハウスに引火し、それを消火している間に敵が侵入。しかも、トラクターまで持ち出してきて、ハウスにロープをかけ、丸ごと引き倒し始めた。そして、そのトラクターも火炎瓶で炎上。まさに戦争状態となった。あちこちで行われている暴力を呆然と見つめるステューの耳に、父の「お前と俺だろ」という言葉が蘇る(5枚目の写真)。その時、ビリーが給水塔に登って行くのが見えた。
  
  
  
  
  

心配になって後を追うステュー。ビリーは、前回、給水塔の屋根に鍵が投げ捨てられたのを覚えていて、それを取りに行ったのだ。ステューは「鍵は忘れろ ビリー。そこにいるんだ。板が腐ってる。動いちゃダメだ」と呼びかけ、助けに行こうとするが、危なくて近づけない。そのうちに、異変を察したアーリスが駆けつける。しかし、僅かにビリーの左足の先をつかんだだけだったので、腐った屋根が崩壊し、ビリーは水槽に落ちてしまう。運悪く、ちょうど排水が始まったので、ビリーは排水口まで吸い込まれてる。ステューは、ためらわずに飛び込んだが、アーリスは、「捕まえろ!」「引き抜け!」と声をかけるだけ。ステューは潜水し、何とかビリーをつかみ、やっと飛び込んだアーリスと一緒にデッキに押し上げた。
  
  
  

しかし、ビリーの心臓が動いていない。「おい、ビリー、頼むよ」「息をしろ。さあ、目をさませ! くそ、戦うんだ!」「しっかりしろ、聞こえるか?」「ビリー、死んじゃダメだ」と声をからし、頬を叩くが反応なし。後から来た連中からは、「叩かないで!」「もういい、可哀想だ」「行かせてやれ」の声がかかるが、ステューは、「あんなの放っとけ、ビリー。一緒に切り抜けよう。お前と俺だろ。父さんは、やれると信じれば、何だってできるって言ってた。お願い神様、息をさせてやって! 父さんを取り上げたよね。ビリーはやめてよ、まだ子供なんだ」。この時、リディアが来て口移し式の人工呼吸をし、それが功を奏してビリーが水を吐いた。ビリーが連れ去られた後、姉弟2人きりになって、リディアが訊く。「何 考えてるの?」。「父さんが見てたら、『もう安心していいよ』、って」。「絶対、見てるわよ」。寄り添う2人。上から一条の光線。映画で最も感動的な一瞬だ。
  
  
  

エンディングのエピソードは2つ。最初は、競売会社の担当者があばら家を訪れ、手付金が432ドルだったこと(5000ドルには遠く及ばない)、しかし、入札者が1人だったので家がシモンズ家のものになったと話す。案内された家の前でステューが、「口紅とほお紅だよ、母さん」と父の言葉をくり返すと、母は、「分かってるわよ」(2枚目の写真)。最後のエピソードは、学校でのリディアの朗読。「この夏、私は学びました。人々がいかに戦争を理解したと思っても、戦争は人々を理解しません。誰も、どう動くか知らない巨大な機械のようなものです。一度 収拾がつかなくなると、すべてを 破壊し尽くします。戦っている目的だけでなく、ありとあらゆるものまでも」。これは反戦思想。そして、最後の締めは、「この夏、弟が正しかったことも学びました。父さんは、これまで会った一番賢い人でした。誰が何と言おうと、神の力を得て 人にできないことはないのです」。
  
  
  

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